1100㎞北へ移住中♬

12年間の教員生活の後、子供2人と三人で、関西から東北に移住を決意!あれこれしながら、日々面白おかしく生きてます♡

母からの。。

わたしの

関西に40年以上暮らしている

大学進学を機に、故郷東北福島県を出た。

やから、関西弁は話さない。

 

わたしのは、

大阪生まれ大阪育ちだが、

関西弁はなんか汚くてキライ

っていう謎の価値観の持ち主であるため、

関西弁はほぼ話さない。

 

 

そんな母。

顔合わせると、じきにもめる。

電話で話すと、

ツーカーやなくて

ツーツーで

なかなかのファールボール連投。

 

 

母は

最初の電話で

『うん、もういいよ。

もう帰ってきたらいいよ

 

そんな嫌な思いして、

意地はってまで

そこに残ることもないと思う。』

って言ってた。

 

でもその晩、

母は眠れなかったらしい。

私と孫らのことを考えると。

(あとで父に聞いた)

(眠れなくなるって点では、

私と母は似てる笑)

 

翌日、

母からのメールが届いた。

 

『こっちは雨です。
結論を急がないで。
あなたの思いは?

なんか活路があるのでは?


仕事できるあなたは、

そこではまだ仕事してないよ

 

あ、そうやった。。

 

仕事って、

誰かの役に立ったり

誰かを幸せにしたりすること。

 

私はまだ、

岩手に来て、

ちゃんと仕事してないわ。

 

 

その二日後、

母からのハガキが二枚届いた。

 

私のことを考えて、

眠れない夜に書いたらしいハガキ。

 

書き始めたら一枚におさまんなくて、

結局二枚になって

なぜか

切手を二枚分貼って出したハガキ。

 

 

眠いせいか

悩み過ぎてるせいか、

なんだかひどいミミズ文字で、

途中で校正し直してるとこもあったりして

なかなかに読みにくい。

 

 

『引っ越しから今まで、

充分に

あなたは頑張ってきました

よく弱音も吐かず、

一心にできたものだと

すごいことだと思っています。

 

新しい仕事の決定については

勇み足ではありましたが、

釜石を選んだことは

そんなに間違った選択では

なかったとも思います。

 

今、活気ある釜石。

そこに縁があって出て行った釜石で、

その熱意ある今だからこそ

やってみてもいいのでは。

 

どこにいても、

あなたが

明るい顔をしていたら、

子どもたちは育ちます。』

 

 

いつも心配性で

お嬢様気質で私以上に世間知らず、

包容力が弱くて

いつまでも少女。

 

そんな母が、

この手紙を書くのにどれだけ考えて悩んだか、

計り知れない。

 

 

 

私が今の家に引っ越して来たとき、

まるで話とは違う、

もう凄まじい荒れようで

虫だか

なにかの糞だか

死がいだか

わけのわからないものを

必死で1人で片付けてた。

 

泣きそうやったけど、

泣いてる場合やないから

泣かなかった。

 

(一応、社宅と言われてましたが、

片付けは謎に私がしたのだ❣️頑張った❣️)

 

何日目かに、

お隣さん家族が総出でやってきて

一緒に

拭いても拭いても汚い家を

拭いてくれて

助けてくれて、、、

 

そこでどっと涙が出た。

 

 

そんな過程を

母は知っていて、何も言わずに見ていた。

 

そうか、、、

ちゃんと見ていてくれたのか。。

 

感謝しかないね。

 

そう。

だから私は決めたのよ。

 

もうちょっとここに

しがみつくぞう❣️

ここでもっと楽しい思い、

してやるぞう❣️

 

 

※お隣のおじさんからの初LINEは、

『今日、マンボウ買いましたからね、

晩御飯お楽しみに!

あとホルモンもありますよ!』

でしたよ。

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ほぼ娘にしてくれて、

いつも心から感謝です❣️