夕顔に関する一考察〜夕子の誕生〜
岩手での初めての夏、
最も気になったものの一つに
夕顔
がある。
遠野市の風の丘(道の駅)で
しこたま積み上げられてるところを見て、
山田町の道の駅で
たんとカゴの中に積み込まれているのを見て、
あーこやつは、
わたしの心を捉えて離さない存在になる、、、
ってことに
気づいてからずっと、
わたしの心の中に
夕顔がある。
もう決まっていた。
私と夕顔は、
切っても切れない縁で繋がっている💓
これが世に言う、
『運命✨✨』
三陸で初めて
ホヤの実物
に出会った時以来の、
凄まじい感動と、
心の揺れが
確かにあった💓
味は冬瓜に似てる。
レシピも、冬瓜に似てる。
でも、
冬瓜よりも味にクセがないし、
冬瓜よりも料理しやすい。
(冬瓜は下茹でするやん?
こやつは、下茹で不要よ。)
だけどこやつ、
アホみたいにデカイ。
こんだけのデカさがあるくせに、
大体500円前後。
デカすぎるが故に、
切り売りされていることも多い。
(それなら、わたしにも手が出る)
そんなこやつが、
突然のご縁で
我が家に来た。
お隣さんの畑から。
なんと
愛おしい💕
そんな愛おしいこやつを
ただただ見続けていたら、
私に一つの考えが浮かんだ。
この夕顔についての私の一考察を
これから述べてみたい😎
- こやつは実は、抱き枕なのではないか。
ムスコは言った。
コレ、かたぁーーい。(硬い)
ちょっと、くさーい。(青臭い)
でも、
しゅきー💕(好き)
- こやつ実は、赤ちゃんなのではないか。
でもね、母さん。
この子、
ちょっとデカすぎるし、
重過ぎるよ。
母さん、今日は
夜、一緒にこの子と寝たいな💕
母さん、見てっ‼️
もうこの子、
完璧な赤ちゃんになってる❣️❣️
男児だとしたら、
大体生後二ヶ月。
- こやつ自体が子供(赤ちゃん)ではなくて、『こやつの中に』生命が存在するのではないか。
そういう誕生が
十分にありえる❣️
こやつの中に存在する生命が、
女の子の場合は、
夕子。
(夕顔から生まれた子供、の意味)
男の子の場合は、
夕起。
(夕顔を起点に生きていく、の意味)
と名付けることを、
先に仮定しておく。
竹取物語では、
竹を切る際、
翁はそれはそれは
恐る恐る
竹に刃物をあてがったはず。
中にいる姫は、
竹に刃物が当たる衝撃を感じた時、
ギュっと
体を硬くして、
身を極力小さくしようと
身構えたはず。
桃太郎では、
桃に刃物の衝撃が走る瞬間には、
もうすでに
太郎は、
我が身が刃物に当たらないよう、
体を硬くして
身の左右どちらかに
身をキュッと寄せていたはずである。
そう考えると、、、
この切り方は
絶対ダメなやつ🙅♀️🙅♂️👎であることは
間違いない。
でももし仮に、
そのことを忘れて
こんな風に刃物を当ててしまったがために、
少しでも
『い、、、痛っ💦💦』
ってかすかな声がしたら、
とりあえず刃物の動きを止めること。
そんな声がしたら、
切り方を変える必要がある。
ただ、
生命以外の夕顔の身の部分は、
干ぴょう
以外にはなり得ない気がする。
- 結論。
夕顔は、
その中に生命体が存在する可能性、
もしくは
夕顔自体が赤ちゃんである可能性
がかなり高いといえる。
私がこれを書いていたら、
赤ちゃん(乳幼児)を通り越して、
子供(幼児)に
しっかり成長していた。。。
ほら、やっぱり。。。。